

サバイバル体験の中でもしんどかった実話を3つ選んでみました。
昨日、こんなツイートをしました。
僕は27〜30歳までブラック企業で消耗していました。
その会社に在籍していた時は、睡眠時間が3時間ほどしか取れなかったので、かなりしんどかったのを覚えてます。
同じ境遇の方が少しでも減るように発信していきます☺️#フリーランス#ブラック企業卒業 https://t.co/Mo7EQGhUMj— ゆらてぃく | 副業ブロガー (@SeewaveY) March 1, 2020
その会社に在籍していた時は、睡眠時間が3時間ほどしか取れなかったので、かなりしんどかったのを覚えてます。
同じ境遇の方が少しでも減るように発信していきます。
以前のブログでブラック企業の特徴についてご紹介しました。
そのブラック企業で27~30歳まで働いていたのですが、
その体験がなかなか凄かったので、こちらもご紹介しようと思います。
この記事を読んでいただきたいのは、今、同じ境遇にいる方。
ブラック企業に勤めていると、時間をかけて洗脳されていきます。
「ココで頑張れないようでは、どこに行ってもダメだ。」
「雇ってもらった恩を会社に返さなきゃいけない。」
「周りに迷惑がかかるから会社を辞めるわけにはいかない。」
「僕は会社に期待されている。その期待を裏切るわけにはいかない。」
このように考えると、自分で「ブラック企業に勤めている」と気づくのはほぼ不可能です。
僕が勤めていた会社でもブラック企業であることを気づかれまいとして
1.新規事業の提案を募る
⇒新しいことにも挑戦するというベンチャー意識を忘れていないことをアピール
2.新年会、お花見、社員旅行などを開催
⇒様々な現場に出ている社員を集めて親睦を深める
3.勉強会の開催
⇒中堅社員が主体となって自主的に勉強会を開催
など、定期的に色々なイベントがありましたが
新規事業は実行されたことはなく、
新年会やお花見の会費は給与から天引きされており、
勉強会をしないと給与が下げられるから仕方なく行う・・・
という誰も得をしないイベントばかりでした。
では、本題に入りたいと思います。
ブラック企業体験その1.勤務時間400時間超え

とあるパッケージ会社へ出向した時の話です。
その会社はパッケージ導入する時に柔軟に追加機能を実装できることを売りにしていました。
社長がお客様へ語る追加機能は夢のように素晴らしく、お客様が思い描いたものはすべて盛り込まれていきました。
お客様がご要望を出されるたびに、画面のメニューは増え、UI/UXのスキルが高い技術者もいないため、画面はどんどん使いにくくなり、次第に使われない機能が出始めます。
そのバックエンド(裏側で動く処理)の実装を任されたのが僕が所属していた会社でした。
僕は27歳という年齢でシステム業界に転職したこともあり、
「何としても手に職をつけてやる!」
という意気込みは人一倍あったと思います。
なので多少の残業はへっちゃらでした。
当時、ほとんどプログラミングスキルが無いにも関わらず、お客さんから直接1つの機能を任されるほど信頼はされていたみたいです。
そうして残業時間は増えに増え、月の総労働時間が400時間を超える月がしばしばありました。
こうなると日々の生活も変わってきます。
- 睡眠時間は毎日2〜3時間。
- 夕食は24時間のマックか日高屋。たまに吉牛。
- 週一回、職場がホテルに。
- 曜日感覚が無くなる。
- たまに襲ってくる頭痛と腹痛。
- この生活を2年ほど続けました。
高校の野球部で、甲子園を目指した練習をしていた頃は「これ以上しんどいことは絶対ない」と思っていたのですが、27歳にして記録を大幅に更新です。
遊びにも行けず、食べるものが高カロリーな割に太らないのはストレスだったんでしょうか。
ある日、胃が激しく痛くなり、お医者さんから「少し休養するように。」という診断書を貰いました。
僕の会社は受け取ってはくれましたが、
「精神的に弱いからこうなる」
「お前のはタダの甘えだ」
と叱られるだけ。
僕が所属していた部署は「労働時間が長い」+「体調不良がもみ消される」環境で離職率がトップの部署でした。
ブラック企業体験その2.辞める時の罵り方がエグい

体力的にしんどい。かつ、自分が成長していることも自覚できない。
「こんな離職率の高い会社が今後成長するはずがない」と感じた僕は行動を起こします。
信頼できる先輩社員に辞めたい旨を伝えます。
その先輩は色々考えた挙句、僕を説得するのをやめ、部長・社長へ話を通してくれました。
そして、その日の業務後、自社に呼び出され会議室に社長、役員の2人がタバコを吸って待っていました。
それから2時間半のお説教のうち、2時間は罵倒、30分は激励の言葉でした。
「お前がフリーランスでやっていけるわけがない」
「もうこの業界で働けないようにしてやる」
「お前の顔なんて、もう二度と見たくない」
「ウチの若いのを連れてボコボコにしてやる」※社長は土木業も別の会社で経営していました。
「会社への恩を仇で返しやがって」
これらの言葉を2時間リピートです。「ウチの若いのを・・・」のあたりはさすがに笑いそうになってしまいました。
こんなマンガみたいなシーンもあるんだな・・・と笑
残りの30分は激励のお時間です。
先ほどまではクソごみ扱いが一転、「お前に期待している」という態度になるのです。
今まで辞めようとして残留した人たちも、同じように罵倒され、褒めたたえられて辞める気持ちをくじかれ今に至ります。
十分な睡眠時間をとっていなくて頭が働かなくなっている時に、承認されるとホロっとなってしまう気持ちもわかります。
その時は答えを出さず、翌々日にメールで「辞めます」とだけ返信しました。
それ以降、直接罵倒されなかったものの、業務報告にもコメントはなく、給与明細も空メールに添付されてくるだけ。
小学生みたいな社長でした。
ブラック企業体験その3.面接練習して経歴詐称

SES(システム・エンジニアリング・サービス)という業種は客先へ常駐して、システム開発を行います。
その際はクライアントと面接を行うのが一般的で、その面接で採用・不採用が決まります。
クライアントに採用されない限り、SESの会社には売り上げが入ってきません。
なので面接に命を懸けます。
僕が転職して2ヶ月が過ぎたころ、案件の紹介がありました。
案件の内容はJavaの開発者。僕はC#のプログラミングを研修中。実務経験はありません。
面接練習時に手渡された経歴書はJava歴3年、PHP歴1年、C#歴1年のそこそこの経験者でした。
SESの業界ではこのような面接練習は、割と当たり前に行われているようです。
僕が勤めていた会社は面接練習にかける時間がとても多く、
毎日2時間 × 5日(1週間)× 40日(2か月)=400時間を費やし、先輩方と周到な準備をしました。
1つ目の面接は完ぺきな内容だと思いましたが、スキルアンマッチで断られます。
クライアントも僕のスキルが低いのを見抜いたのでしょう。
2つ目に提案された現場は面接がなく、結局400時間を費やした面接練習はムダになってしまいました。
例えウソの経歴で現場に入れたとしても、その後がかなり辛いです。
「そこを超えることが一人前になることだ」というのが、その会社の社訓みたいなものでしたが、そんなのどう考えたっておかしいです。
クライアントに迷惑はかかるし、精神衛生上もよくありません。
当たり前の話ですが、人を騙して良いことなんてないのです。
最後に
最後に、
僕がノースキルからフリーランスエンジニアになって
月80万円稼ぐまでにやったことをnoteで公開しています。
実体験をもとに書いており、いかに最小の努力で最大の効力を発揮するか考えながら
フリーランスエンジニアをしてきた経験をまとめています。
今日、ご紹介したブラック企業での体験談をもう少し詳しく書いていますので
もしよかったら参考にしてみてください。
経験談が知りたい!